2026年4月27日月曜日

闘病記 視床下部過誤腫(脳腫瘍)

闘病記 視床下部過誤腫(脳腫瘍)  はじめに   昨年息子夫婦に赤ちゃんが誕生し、息子は父親になった。「あの頃」には考えもできなかったことだ。改めて「あの頃」どんな状態だったのかを振り返ってみることにしました。   当時、新聞に闘病記のライブラリーができたという記事が載っていたのを見つけ、さっそくインターネットで検索したのですが、うちの病気はなかった。 特に珍しい病気になると、他の人はどうしたんだろう?こんなときどうだったんだろう?と同じ病気の人の情報がとっても欲しくなります。同じ病気ではなくても、どうやって危機を乗り越えたのか、参考になるのではないかと思います。 視床下部過誤腫とは出生時からの笑い発作を主とする難治性てんかん性格変化、重度知的障害、思春期早発証などをきたすものです。  第一部 こども医療センター うそでしょ 「脳腫瘍の疑いがありますので、急いで精密検査をします。」 一瞬、頭の中が真っ白になり目の前にいる小児科の先生が何を言っているのかわからなくなってしまった。CTとMRI(と言ってもわからない人の方が多いと思いますが、CTはコンピュータ断層撮影、MRIは核磁気共鳴画像のことでどちらも体の内部を診断するものです)の結果、やはり異常があると判明し、専門のこども医療センターへ救急車で搬送されていく時、急に涙がこみ上げてきました。 (この子はまだ生まれてからまだ一ヶ月しかたっていないのに…) (家族全員で一緒に撮った写真だってまだないんだ) (来週のお宮参りを楽しみにしていたんだから…) (これじゃよくあるドラマの話じゃない、まさかそれが自分の身に起きるなんて) (ちゃんと健康に産んであげられなくてゴメンね)  忘れもしない、生後一ヶ月検診を無事に終了した翌日、10月26日の夜でした。たまたまおじいちゃんの誕生日だったからよく覚えています。一晩中ウーンウーンと唸り続け、汗もびっしょり。 最初は便秘で苦しんでいるのかなと思い、綿棒でおしりの穴を刺激したりしたのだけれど、あまりに長時間苦しむ姿にこれはおかしいと、明け方救急指定病院に連れて行ったのです。お医者さんも最初はただ機嫌の悪い赤ちゃんだくらいにしか思っていなかったようですが、念のため血液検査をしました。すると電解質のバランスが崩れているという結果。このような状態になるのは普通ではないらしいです。 脳の視床下部あたりに「何か」がある。 こども医療センター担当医の説明では検査に大体2週間、その後手術あるいは放射線・抗がん剤治療を行い、本当に順調にいったとして早ければ二ヶ月で退院できるかも知れない。ただし子供を専門に扱うこの病院でもこんなに小さな赤ちゃんにこのような症状が見つかるのは極めて稀であり、果たして半日以上かかる手術に体が耐えられるか、最悪の場合も覚悟しておいたほうが良いでしょう。とお医者さんに説明を受けました。  この日から家族にとって苦しい毎日が始まったのです。 (もしかしたら、あと二ヶ月であの子と永久に会えなくなってしまう。) 付き添いが禁止されているため、毎日二時間かけて通院する日々。仕方なく断乳し(おっぱいをあげている時が母親としてすごく幸せを感じていたのに)したたるおっぱいを飲ませてあげられない。午後四時にたった一回だけ許されるミルクの授乳が最大の幸福と感じる時間。  こども医療センター第一回目の手術は脳血管撮影。これは本番の手術の前に血管がどうなっているのかを調べる検査だそうです。しかし、半日以上麻酔をかけ、カテーテルを使うため生後一ヶ月の赤ちゃんにとって危険なことにかわりはない。 翌々日、本番手術。しかし腫瘍のできている場所があまりにも脳の中枢なので摘出は出来なかったそうで細胞を採取して病理検査を行ったそうです。 幸い結果は良性で(限りなく脳細胞に近い腫瘍)すぐにどうなる状態でもないため退院し、自宅療養になりました。  とりあえずの危機は脱出したが、依然として脳に腫瘍が残っているのは確か。このあと治療(なんとか病気が軽快する方策を探すこと)と訓練(今の状態でもとりあえず生活していけるように教育すること)の二本柱を考え続けなければいけなくなった。  病名は ガングリオ・サイトーマ、これがうちの息子・息子についた病名だった。あとから考えるとこれが混乱のきっかけだったんだよね。同じくこども医療センターに脳腫瘍で通院している子どもを持つ親が脳腫瘍の会を立ち上げた。さっそく入会しました。当時この会は結構活発に講演会などを開いてくれて、その中に北海道大学のS先生がいました。講演後に懇親会があるのが常で、そこで、S先生にいろいろ質問できるのだ。で、うちはこれこれこうなんだけれども…と聞くと、それは多分視床下部過誤腫でしょうとの答え。あれ?だってこどもセンターの先生はガングリオ・サイトーマだって。。。おかしいなーと思って、再び北海道大学のS先生のインターネットサイトにアクセスするとMRIのフィルムがあれば見てあげるから送りなさいとのこと。たまたま、以前に地元のガンマナイフの先生に紹介状をもらったときのフィルムが手元にあったので、早速送りました。 回答はやはり視床下部過誤腫(hypothalamic hamartoma)でしょうとのこと。2つのタイプがあってそのうちsessile type。視床下部過誤腫は大きくならず一種の脳の奇形であって腫瘍ではない、腫瘍を小さくしても症状が改善しないことも多く、手術のリスクは高い、多くの場合放射線や化学療法も無効、薬物療法による笑い発作のコントロールはとても難しくて全国どこの施設でも苦労していると教えてもらえました。笑い発作があればまず視床下部過誤腫を疑うのが普通らしい。その他知的障害とホルモン異常がよくある三点セットで確かにうちは全部該当する。これって誤診っていうこと?まさかそんなことこども医療センターの先生に言えやしません。でも神経内科の先生はわかっていたらしい。きっとそれだけ稀な病気なんでしょう。もし講演会に参加しなければ、もし昔みたいにインターネットがなかったら、こんなことはきっとわからないままだったでしょう。情報の大切さを痛感します。もしガングリオ・サイトーマであると信じていたら正確な治療を受けることが出来なくなってしまうところでした。一人の先生(と言うか、お医者さんは出身大学によって派閥があるようなので、ひとつの大学出身の先生方と言ったほうが正確だと思います)の診断を鵜呑みにせず、可能な限り情報を集めて集めて集めまくることが病気改善の分かれ道になります。その意味でインターネットの普及は本当に医学にとって(先生にとって、患者にとって)も有益だったと思います。S先生はお金もとらずに何度もメールのやり取りをしていただき本当に感謝しています。  最初のガンマナイフ情報(治療)  こども医療センターの担当医はうちの子の症例はあまりにも腫瘍が脳の深部にあるため、外科手術は不可能であり、無理に行ったら人間ではなくなってしまう(!)とのことだった。だからと聞いて何もしないわけにはいかない、親だから。あちこちの情報を捜す努力だけは続けていました。新聞の医療面などでは時々ガンマナイフという記事が掲載される。開頭手術をせず、放射能をいろいろな角度から照射し、数ミリ単位で放射線が集まる部分だけ細胞をやっつけるという治療法。地元の病院にガンマナイフがあり、医療講演会があるというので、聴きに出かけた。質問コーナーで笑い発作の治療経験はありますか?と聞いたところ、あるとの答え。やった!ここなら治療してもらえるかも知れないと思った。うれしいことにその先生は今通っている子ども医療センターの先生と同じ大学出身である。それなら紹介状も書いてもらえるはずだ、、なんてツイているのだろうと思った。思ったとおり、子ども医療センターの担当医は茅ヶ崎市のガンマナイフ担当医の後輩で、すぐに紹介状を書いてくれた。ドキドキしながら診察に出かけた。MRIのフィルムを見た先生は「これはとても珍しい症例で、一人の脳外科医が一生に一度みるかどうかだろう」と言う。そんなことはどうでもいいこと、で、その先の話を待っていると、「あまりにも視神経に腫瘍が近いので、ガンマナイフをファーストチョイス(一番先の治療)にするのは勧められない」との話だった。もしかして、これで少しは病状が改善するかも知れないという淡い望みは切れてしまった。これで治療は今以上できないと覚悟し、できること=少しでも発作を薬で抑え、勉強を教えることを頑張ろうと決意できたのだった。あとになって考えると同じ大学病院出身ということは同じレベルの知識しか共有していない可能性が高く、大学病院によって得意な分野・不得意な分野があるということ、子ども医療センター・茅ヶ崎市のガンマナイフ担当医は視床下部過誤腫をガングリオ・サイトーマと診断したように、あまりこの分野は詳しくなかったと言うことができるのではないだろうか?それに気がつけば、もっと早くから別の先生探しに精出すことができたのにと反省する。 広報紙は大事  最初の療育訓練を受けたのもそうだし、教育委員会の担当者と始めてコンタクトができたのも「広報ちがさき」に掲載されていた記事からだった。ろくに読みもしないで、ポイとゴミ箱に捨てている人がとっても多いらしい。もったいないことです。障害がある子供たちへのサポートはある程度行政が最初の相談を受けてくれる。どこでとか、いつ行われているとかの情報は同じ行政の広報課が担当しているので、広報紙を見れば解決のとっかかりはつかめるはずです。毎月それが掲載されるわけではなく、たとえば年に一回とかの情報もあるので、急ぎのときにはバックナンバーで一年分くらい目を通せば欲しい情報が見つかると思います。   ところが、行政の相談って割と初心者向けだったりします。専門家の場合もあるけれど、職員が対応している部署だったりすると、たまたま別の部署から異動になったばかりの人だったりする。人事異動しなければ組織が硬直するとか、業者との癒着が生まれるなどの理由があるのでしょうが、療育施設の場合にはある程度担当者と慣れてこないとうまくリハビリも進まないと言う状況も少しは考慮してくれればいいのにと思います。  第二部 東京女子医大 こんな偶然もあるもんだ(治療) しかしまるっきり治療に関してあきらめていたというわけではなく、なんとなくインターネットで視床下部過誤腫を調べていたらちょうど翌日にガンマナイフのテレビ番組があることが載っていた。東京女子医大の先生だった。ガンマナイフの第一人者らしい。番組を見終えて早速その先生のことをインターネットで検索してみた。インターネット上で掲示板を開設していて、果たして返事がもらえるかどうかわからないままに質問してみた。「10歳の男子。視床下部過誤腫で手術不可能と診断され、セカンドオピニオンで茅ヶ崎市徳洲会病院ガンマナイフ担当医には視神経が近すぎるのでガンマナイフをファーストチョイスにするのは勧められないと言われた。首都圏に良い先生はいますか?」驚いたことに翌日には回答が書き込まれていた。「東京女子医大のO先生を勧めます。ガンマナイフについてももう一度見てもらってください」とのこと。ちょうどその日はかかりつけのこども医療センターへ行く日だったので、紹介状を書いてもらおうとしたが、担当の先生の診察はなく、あきらめようとしたそのときばったりその先生と廊下で会った。なんという幸運。「実はテレビで見たのですが、ガンマナイフの先生に紹介状を書いていただけますか」「東京女子医大の先生ね、いいですよ。急ぎ?では次回診察までに用意しておきます。」と言ってくれた。 一難去ってまた一難 昔の人はうまいこと言ったもんです。一筋の光がさしてきたかと思ったら、学校の尿検査で蛋白が出てしまい、再検査になりました。がっくりきてしまいます。この時はなんともなかったので良かったのですが、本当に子育ては山あり、谷ありです。  東京女子医大病院 受診の前夜がなかなか眠れなかった。一体明日は何と言われるのだろうか?前回のガンマナイフ医のように簡単に断られてしまうのだろうか?それとも手術と言われたらどうしよう?などと考えると目が覚めてしまうのだった。 担当のO先生は若いけれど、感じのよい先生だった。MRIのフィルム、紹介状を見て、三つの治療法があります。1.ガンマナイフ2.外科的切除3.針を刺して温熱療法です。どうしますか?と聞かれました。できれば笑い発作はなくして欲しいと答え、それならば改めて各種検査をしてから検討しましょうとのことでした。検査も今までこども医療センターでやってきたよりもより細かいMRIや一度お願いしたけれどやってもらえなかった脳磁図なども含まれていた。息子に負担がかかるのは申し訳ないが、少しでも症状が改善する可能性があるのなら、やってみたいというのが親心というものだ。いままでの病院では「これ以上何もできません」と言われていたのがなんと三つも治療案がでてきたということで、今までの病院はなんだったのだろうという不満が改めて沸いてきた。たまたま隣に座っていた人も別の病院にかかっていたのだけれど、どうも満足できず、やはりインターネットで調べて転院してきたとのことだった。どうしてお医者さん同士が連絡をもっと密にして(あるいは情報を共有化して)自分のところでは出来ないが、あそこならなんとかなりそうだという紹介をしてもらえないのだろうか?なぜ患者が自分であちこち調べなければならないのだろうかという疑問とも怒りとも思えるものが生じてきた。とにかく、少し希望の光が見えてきた気がする。      検査の手順  まず、東京女子医大病院にてSPECTという脳血流の検査を行った。これは脳の中をどのように血液が流れているのかを調べるものらしい。注射をして、三十分くらいじっとしているだけだが、息子が怖がってなかなかベッドに向かおうとしない。看護士さん達がうまく誘導してくれた。麻酔薬を使わなければ無理かなと思っていたが、本人がもう一本注射するのは嫌なので頑張ると言い出して、なんとか終わることが出来た。親からして、「へぇ~、麻酔無しで大丈夫なんだ」と驚いたり、うれしかったり。  いったいいつになったら O先生から、入院手続きをしていってくださいと言われ、してきたのはいいのだけれど、果たして入院がいつになるのか、さっぱりわからない。何か電話があると次の日に来てくださいと言われるようで、それじゃ全然予定など立てられないし、本人を含め、家族のストレスも相当なもの。本人は毎日寝るときにいろいろ聞いてくる。 「髪はきらない?」 「注射する?」 「手術のときは皆で来て」 なんて具合。子どもなりに心配しているのがよくわかる。親としてはなんとかしてあげたいが、何もしてあげられないのが辛い。先生のメールアドレス宛に 「不定期で良いのですが、入院状況について事務の方から連絡いただけないでしょうか」と送ったけれど、なんの音沙汰もない。きっと忙しすぎて読んでいないのだろう。 どこの大病院もそうなのだろうか? 患者に対してはあまり親切なやり方ではないなぁと思う。  二ヶ月目 入院申込から二ヶ月目に入った。息子もかなり心配のようで、毎日のように聞いてくる。「入院したらすぐに点滴する?」 「髪の毛は切るの?」 「五年生になったら入院するの?」 「頭に注射する?」 「何日入院すると帰れるの?」 親もさっぱり様子がわからず、東京女子医大の入院事務に問合せの電話をした。 「全然予定が立てられず、困っているのですが、いつごろになるか目処は立っていますか?」 「手術一週間前になると先生から連絡があり、連絡をします。こちらではいつになるのかわかりません。ただ待っている方は多いようです。問合せがあったことは先生に伝えておきます。」とのことであった。 待っていて、良かったこともある。二月四日付けの日本経済新聞に脳疾患の上位病院が掲載されており、東京女子医大が最先端の機器を備えており、手術数も多く、治療成績も高いことがわかった。と言うことはここでだめだったら仕方ないというあきらめもつくというものだ。たまたま縁があって申し込んだ病院だったが、良かったと安心できた。  本当にトツゼン  上の子の授業参観に出ようとしたときに携帯電話がなった。東京女子医大から。ドキッ。 急にキャンセルがでて、先生から八城さんに連絡してくださいと言われたそうだ。すぐに手術ではなく、微細脳波を調べる検査入院で一週間の予定だそうだ。 「ついにきたか」息子がつぶやいた。 入院前夜  3月の初めに、入院・手術はモニタールームが空けば3月の第四火曜日、空かなければ4月の第四火曜日との連絡をもらっていました。今回の手術をしたあとに、発作の状況を確認するのにモニタールームが必要なんだと思われます。インターネットなどを検索すると発作が減少するときは手術後すぐにわかるようです。第四火曜日ばかり指定されたのはおそらくその日に大きな手術をすることにきまっているのではないかと夫婦で話していました。 三月が過ぎ、これは4月の20日に入院と言われていたようになるのだなと思っていましたが、いざその日が近づいてくると、本当に明日電話がかかってくるのだろうか、また延期になるかも知れないなどと、期待半分不安半分状態でした。19日朝9時半頃に電話が鳴りました。20日から入院、保証金に10万円必要と言われ、大慌てでおじいちゃんに借りる始末です。 24日手術までは小児科の病棟に入るため、親以外はお見舞できないそうだ。手術後モニタールームに移る。そこでどのくらい様子を見るのか、そのあと一般病棟に戻ってどのくらい入院するのか、あまり説明がないのが不安である。徐々に緊張感が高まってくるのだが、時間が刻々と迫ってくる。きっと戦争中に出征していく人達もこんな気分だったのだろうと思う。明日はどうなるか誰もわからない。天のみぞ知る。  手術説明 担当のO先生から手術の説明がありました。モニタールームに入る前の手術は電極を患部に入れるもので、その電極からどこで発作が起きているのかを探り、一週間経ってからわかったところをピンポイントで焼灼するそうです。何点か質問をしました。もしも過誤腫全体を焼くのならどこが発火点なのかを探る必要はないわけで、そのようにできませんかとの質問には無理です、一部しかできませんとのこと、なぜガンマナイフでは効果がなく、焼灼術だと効果が高いのかにはガンマナイフは視神経が近いので大きな熱量を使えないため、いわば生焼け状態にしかできずそのため効果が薄い、もしももっと完全に照射できれば絶対効果はあるが、今の技術では無理とのこと。発作が血流不足からおきているのではないかという疑問には、なぜ笑い発作が起きるのかまだわかっていないが、血流が足らないと言うのが原因だとしても血流を増やす治療がないとのこと、手術時間は1時間くらいで、安全を最優先しますといってもらえたので、ちょっと安心しました。最後にあまり期待しすぎてもいけないと思うのですが、どの程度の改善が期待できますかと質問しました。手術後2年で判断するのにレベル1が完全発作消失、レベル2がたまに発作あり、レベル3がやや改善、レベル4が現状維持あるいは悪化という基準があるそうだが、レベル2を狙いますと力強く言ってもらえた。何事も控えめに話すのが医師なのに、あそこまで言い切ってもらえるのは何か確信があるのかどうか、とにかくここまで来た以上O先生にお任せするしかない。  手術前夜  主任教授から説明があるとのこと。一番偉い方なので、O先生も相当気を使っているのがわかる。今までの実績を説明してもらえた。過去7人同様の手術をしているようだ。 そのうち発作消失(レベル1)が2名、軽減(レベル2)が2名、改善(レベル3)が2名、不変(レベル4)が1名とのことで、かなり改善率が高いとの話だった。一通り説明が終わって、笑い発作の話になり、アメリカの大笑いコンテストで優勝したのはこの病気の人だったと教授が言ったとたん、息子が教授に向かって「欧米か!」(当時流行していたタカ&トシの漫才フレーズ)と言ってしまい、思わす皆(あら~)「すみません!」と誤ると、教授は「いいですよ」と言ってくれたが、O先生達は苦笑い。教授が退席したあと、「いや~、あれで一気に座が和みました」と笑われた。母親はこの子は大物だと変に感心していた。 主任教授の他にも、手術担当の看護婦さん、MRI担当の看護婦さん、麻酔科医の先生(美人なんだけど、やたらつけまつげが長く、爪にも装飾しており、ほんとにこの人先生?という印象)も来てくれて、患者・家族を安心させようという気遣いが感じられた。翌日は8時に準備開始とのことで、帰宅すると朝来るのが大変だと思い、泊まってもいいですか?と尋ねたら、男の人はダメですとの答え。保安上と言われたけれど、女子大ということもあるのだろうか。仕方なく一旦帰宅し、朝一番の電車で向かうことにした。  入院一回目第一回手術 電極留置術 平成19年4月24日、朝8時30分に手術着に着替える。甚平さんのような上着とふんどしのようなT字帯。8時40分にCT室に車椅子で行く。ガスを使って眠るか、点滴ルートから注射するか、前日はチクンがいいと言っていたが、当日あまりの看護師さんの多さに退いてしまったか、なかなか素直に注射されようとせず、結局ガスで眠り、親はそこで別れ病室で待機。 まず頭にフレームを取り付け、CTとMRIそのデータを基に電極を患部に差し込む。モニタールームで発作と患部の関連を調査する。予定では3時ころまでかかると言われていたが、1時過ぎには戻ってきた。意識朦朧という感じだったが、起こすと周りの状況は理解できているようだった。突然発作が起きた。なんだか今までの発作よりも強いようだ。O先生が見に来てくれて、電極が刺激になって発作が多くなっている可能性もあるとのこと。そのあと、4回も吐いてしまう。途中には右手が震えるけいれん発作。今まで見たこともない発作だった。再度O先生が見えて血液中の電解質のバランスが崩れているかも知れないので明日血液検査もしますとのこと。しかし、この症状だけ見ていると明らかに今までよりも悪化している。果たして大丈夫なのだろうかという不安が頭をよぎる。悪くなってしまうのだったら、何のために東京まで通ったのか、息子にも申し訳ない。しかし、ここまで進んでしまった以上、先生を信頼して任せるしかない。  術後経過  平成19年4月27日熱は37度に下がってきた。下痢は続く。抗生物質を使っているため仕方ないそうだ。痰のからんだ咳が止まらず、手術時に酸素の管をのどに入れた影響もあるらしいが、その前からそうだったから、風邪かアレルギーの可能性も否定できない。ただ、来週も手術をしなければならず、嘔吐しやすくなるため、痰きりのシロップをもらう。肝心の笑い発作だが、一日に50回程度あったのに、一日4回程度に激減。電極を患部に刺しただけなのに、「手ごたえがあります、」と先生が言っていた。  翌日体温が平熱になった。下痢は続くも、水便ではなく、やや固形物が入ってきた。頭皮に取り付けていたモニター電極をとる。直接過誤腫につながっている電極のうち左側を弱電流で刺激する。片側ずつ試してどちらが発作を引き起こしているのか確認したいそうだ。電流を流しだしたらさらに発作の回数が減った。  入院一回目の二回目手術 定位凝固術  平成19年5月1日午前10時。O先生から電極留置による笑い発作の状況説明があった。術後急激に回数が減ったものの、徐々に回数が戻ってきた。電極を刺激することによって発作が抑えられたとの報告もあったが、うちの場合は認められなかった。また過誤腫には神経がないため、そこが焦点となって発作が起きるのは考えられないという学説もあったが、実際発作が起きるときには過誤腫に入れた電極から乱れが生じている。このようなデータがとれたのは世界で初めてだとのことだった。そのような結果から当初の予定通り焼灼を行いたいと思いますとの説明があり、よろしくお願いしますと答えました。 午後1時から手術開始。戻ってきたのが6時でした。今回は麻酔がかなり効いていて、寝ている時間が多かったけれど、前回のような嘔吐はすぐには見られなかった。尿崩症の可能性があるとのことで、おしっこの管がついており、点滴も24時間行うとのことだった。夜8時ころにO先生が説明に来られ、予定通り5箇所(左4箇所、右1箇所)を焼きましたとのこと、成功ですと言われホッとしました。O先生には術前・術後にきちんと対応してもらえたので、安心して任せることができたと思う。  入院一回目の二回目手術の術後説明  息子に付き添っている妻から、朝電話あり。 「けいれんが止まらないので早く来て」 重い気持ちで病院へ行く。けいれんと言うよりもどうやらふるえのようだ。ただ笑い発作も頻発しており、なにより吐き気があって食べると吐いてしまう。O先生から説明があった。五箇所焼いたので何回か焼却針を出し入れしたため少し出血している。そのままで消えるので心配はないが、ふるえはそのせいかも知れない。まだ術後の状態が落ち着いていないので様子を見ましょうとのこと。  二日目  心配なけいれんない 吐き気 治まってる 大丈夫 笑い相変わらず多い がっくり  先生に吐き気止め、けいれん止めを点滴から入れてもらったせいか、心配な症状は治まったようだ、ただ、笑い発作は止まっていない。  手術三日後  やはり笑い発作は減らず。それどころか尿崩症の可能性も出てきた。手術が終われば楽になると思っていたのに、息子に何と説明すれば良いのか?発作のカウントに加え、尿の分析までしなければいけなくなった。  四日目  笑い発作が19回と、手術前(50回)に比べ半分近くになった。尿も点滴が取れてから少なくなり、尿崩症の恐れもないでしょうとのことだった。 CTを撮りに行く途中にO先生に会い。「あっ、O先生だ。」(息子)病室にいても「今度O先生いつ来るの?」と聞くことが何回かあり、子供心に信頼できる先生だと思っているようだ。 東京女子医科大学病院について  我が家の場合、こども医療センターのY先生にお願いしたら簡単に紹介状を書いていただけたけれど、人によっては紹介状を書いてもらうのが大変だったそうだ。隣のベッドにいた沖縄から来たこうへい君。なかなか紹介状を書いてもらえなかったとお母さんが言っていた。同じ病棟には外国から来ている子ども達もいて、東京女子医大は世界的にも有名なんだなーと思います。  退院へ  手術後一週間が経った。今のところ笑い発作の回数はそれほど減っていない。O先生はもう一回手術しても良いと言っていたそうだが、確信のないことをこれ以上するわけにはいかない。しばらく様子を見ることにしたい。金曜日(手術十日後)にMRIを撮って抜糸して、退院してよいと言われた。  帰宅後  約一か月は発作の少ない状態が続いた。学校の担任も手術前に比べたらすごく良くなりましたと言ってくれた。 ところがところが。。。 ヒー、耳を覆いたくなるような甲高い声、新しいタイプの笑い発作が始ってしまった。これの困ったところは、たとえば映画館やファミリーレストランなど、皆がざわついていないときにも急に出てしまうので、回りが一斉に注目してくる。これではどこへも行けない!!  入院二回目の手術 一ヶ月後の問診で発作がひどくなったことを先生に伝えたところ、すぐ再手術を決めてもらった。夏休みの予定であったが、延びて9月になった。今回は前回5箇所焼いてダメだったことから、しっかり焼きますと言われていたが、終わって聞いてみると、なんと30箇所も焼いたそうだ。どうりで、時間が長かった。 「また手術?!いやだ、絶対いやだ、O先生に言ってキャンセルしてもらう。」 息子がこれだけ嫌がるのも無理はない。昨年に続きこの病院に移ってから三回目の手術になる。 生後すぐに見つかった病気が地元の病院では細胞検査をするくらいしか対応できず、発作を抑える注射を毎月打ちに通うだけしか出来なかったのが、親としては (本当にこれだけしかできないのか?)どうしてもあきらめがつかないでいた。 同じ病気の子供を持つ親の会主催の講演会で北海道から来てもらった講師の先生に思い切って相談し、どうやら聞いていた病名は誤診らしいことがわかり(わざわざCT画像をみてくれたのは感動でした)、さらにある時テレビで放送された関係のありそうな医師のブログに投稿したことで、東京女子医科大学病院のO先生を紹介してもらえた。 まさか返事が戻ってきて、さらに専門医まで紹介してもらえるとは思ってもいなかったのでこれにもとても感動したのを覚えている。 初めて会ったO先生は若いけれども誠実な感じで、先生曰く、「何もしないのが一番いけない、手術しましょう。」 これ以上何もできませんと言われ続けていた我々親にとってはまさに待ち望んでいた天の声だった。 昨年受けた入院一回目の手術はなぜか発作が逆にひどくなり、急遽半年後に入院二回目の手術。なんとか快方に向かったのだが、まだ発作が残る。それを心配してくれて、わざわざ自宅まで電話して貰ったのだった。 信頼するO先生を前にするとあれだけいやだと言っていた息子の反対表明はどこへやら、先生の話を聞いて心の準備が出来たようだった。 手術結果は今のところ順調。手術前は 「僕なんか生まれてこなければ良かった。」などと言って親を泣かせていた息子が自分で 「バカだなあ、こんなに良くなるんだから、なんでもっと早く手術しなかったんだろう。」などと言い出す始末だ。 果たしてこの先どうなるかはわからない。けれども一歩でも前進できたことに親子ともども満足感はある。一緒に前線で戦っている戦友のような親子だと思う。 医療の現場は進んでいるように見えて実はとても閉鎖的である。同じ医学部出身者同士の情報交換は多少あるようだけれども、他の医大関係の情報はあまり知らないようだ。もしもあの時、地元病院の主治医の言うことだけを信じ、何の行動も起こさなかったらと考えるとゾッとする。 同じく東京女子医大病院で一緒になった人達と話していても、やはり親が必死になって情報を探し、嫌がる担当医に何度も頭を下げて、紹介状をやっともらえたという人が大勢いた。 子育てに受け身は禁物だ。欲しい情報は自分で探さなければいけない。幸い現代は情報化社会である。インターネットを初め、本や新聞・雑誌・テレビなどいたるところにヒントとなる情報源はある。医師の中には良心的で何の報酬も求めずに情報を教えてくれる人もたくさんいる。我が家のようにほんの小さな糸口から思わぬ展開が待っていることも現実にある。 今子育て真っ最中の「親仲間」に伝えたいのは何か困難があったって、絶対あきらめてはいけないということ! 子供の未来は親のがんばりにかかっていると言っても決して過言ではないだろう。縁あって自分のところに生まれてきてくれた子供に精一杯の愛情を注ぎ、出来うる限りのアクションを起こすこと、その結果徐々に、本当に徐々にではあるけれども親子共に成長できること、これが子育ての醍醐味ではなかろうかとつくづくそう思う今日この頃です。  半年後の経過報告 前回9月に手術してヒーという高い笑い発作は消えた。一安心していたのだが、二月中ごろになって目の回る発作、高い笑い発作が出てきた。3月にMRIの撮影後の診察で、前回焼いた部分が戻ってきているようだとのこと、新潟大の先生が言うのには(新潟大は20例くらい手術実績があり、そのすべてで笑い発作が消失している)針の太さを2ミリで行っており(東京女子医大は1ミリ)、かつ乳頭部付近が発作の元らしいという話だ。去年同じころに手術した子がやはり最近2ミリの針で再手術したとのことだから、その子も発作が治まらなかったのだろう。さすがに入院3回目の手術ということで、O先生も言いにくいと言われていたが、こちらも考えてしまった。息子はオペは嫌だけど、入院は好きと行きの電車の中で言っていたのもあるのか、病院から帰ろうとしていたら、 「ボクは手術する」と言いだした。 「えっ?!」親のほうがびっくりしてしまった。本人がその気ならと取って返し、先生に手術をお願いしますと伝言した。 ただ、さすがに翌日になるとやっぱりどうしようかなー、やめようかなぁと言っていた。そりゃそうだ、親だってもうあんな思いはしたくない、果たしてもう一度手術して完全に治る保障もないのに、また子供に痛い思いをさせていいのかどうか、思い切って全員発作消失している新潟大まで行くか?とも悩んでいるのだから、本人にしてみればもっと悩むところだろう。  いざとなると ところが、家に帰って落ち着いてくると「オペは嫌だ!キャンセルする!」と言いだした。 気持はわかるけど、「だってオマエがやるって言ったんじゃない。どうしてもいやならO先生に自分で言いなさい。」 そうして麻酔科と一緒に受診した入院前の検診で先生が「視床下部過誤腫は珍しい病気で日本全国でも2~300人しかいません。私にとっても思い入れの強い患者さんなので、ぜひもう一度やった方がいいと思います。」 息子は結局何も言わず、「どうなの?いいの?」と確認すると、コクリとうなずく。帰り道に「何で何も言わなかったの?あれだけキャンセルするって息巻いていたじゃない。」と聞くと「だって、O先生にああいわれると何も言えない。」これで本人の覚悟ができたようだ。 トイレでばったり  小児脳腫瘍の会から講演会のお知らせが届いた。それを見るとなんと北海道大学のS先生の名前がある。息子の本当の病名を教えてくれた、いわば恩人である。手術で笑い発作が軽減したこともあり、ここはやはりお会いして一言お礼を言おうと出かけた。ところがさすがにS先生の周りは人だかりが途切れずなかなかチャンスがない。仕方がない、残念だけれど帰るとするか。。。我慢していたトイレを済ませると、なんとそこへS先生もやってきた。大急ぎで自己紹介し、 「その節はお世話になりました。」とお礼を言ったところ、S先生は 「ああ、あの大きな視床下部過誤種の」と覚えてくれていた、ありがたかった。ん?その時手を洗ったっけ? 今度は高熱 手術をして、大きな笑い発作はなくなったが、残念ながらまったく発作が消滅したわけではなかった。そこで、新しい薬でトピナというてんかん薬を試すことにした。3月からまず一錠、4月から二錠に増やし、体重的には四錠まで増やそうという計画であった。 ところが、五月くらいから熱が出るようになった。最初は運動会の練習が続き、真っ黒に日焼けする頃38度台の熱が出た。それからも、夏にかけて昼には高熱、夜になるとやや下がるという生活が続いた。地元の病院に行っても原因不明。いろいろ調べてもやはり熱が続くのはよくないらしい(当たり前だけれど)よく観察していると、昨年まであれだけ出ていたあせもが全然出ていない。おかしいなともっと観察していると、どうやら汗が出ていない。だから日中気温が上がるとそれにつれて体温も上昇しているようだ。なぜ汗がでないのだろう?さっぱりわからなくて、ついにこども医療センターの急患で担当の先生に診てもらった。言われたのは 「脳の手術をした後一~二年は夏に熱が下がらないのはよくあることです。」 そうか、そうだったんだと一安心。 それで収まれば万々歳だったのだけれど・・ 先生の顔がマジ 東京女子医大の定期検診で担当医に熱が続くという話をしたところ、 「変ですねぇ、今まで同じ病気の手術をした人でそのような症状が出た人は一人もいません。MRIを撮りましょう。」 と言われた。多分先生は過誤腫がおおきくなっているのではないかと考えたのではないだろうか?十分可能性のあることであり、我々両親はまたも心配で眠れない日々が続く。果たして未来は? 東京女子医大でMRIを撮るには何カ月も先になってしまう、そういうところが大きな病院の欠点だ、運よく担当のO先生がちょうど開業するタイミングだった。埼玉の西浦和という我が家からはちょっと(と言うかかなり)行きにくい場所だったが、こういう場合はすぐにMRIを撮ってもらえるのでありがたい。さっそく受診に伺った。 結果は腫瘍が大きくなっているどころか、逆に小さくなっていたそうだ。 東京女子医大病院で出会った患者たち 三回も入院するとさすがに看護婦さんたちとも打ち解けてくる。初めてではないのでその分緊張しないで済むのは経験者のメリットだ。違うのはそのたびに同室になる子供が変わること。最初に隣だったのは沖縄からきていた男の子。手術してリハビリ中のためほとんど寝たきりで言葉もでなかった。でも息子のことは気に入ってくれたらしく、すぐにカーテンを開けてしまう。その子のお母さんにはいろいろ病院内のことを教わった。 二度目の入院で一緒だったのがうちの上の子と同い年の女の子。時々ベッドに手や足を打ちつけていた。ベッド横には元気なときの写真が飾られていた。お母さんは下の子が小さいとのことで、なかなか面会に来れないようだった。お風呂も看護婦さんに入れてもらっていて、そのたびに涙を流していた。そりゃあそうだ、思春期の女の子だもんなぁ。その子がよくかけていたサクランボ、耳に残っている。三度目は幼児が一緒。息子に懐いて退院のときには「おにいちゃんのバカ」と泣きじゃくっていた。みんな元気になっただろうか?  沖縄から来ていた男の子、手術の後遺症か、しゃべることが出来ず、「はい」だったらチョキしてとお母さんによく言われていた。この子が息子の隣でよくカーテンを開けて息子をみていた。気に入ってくれていたのかも知れない。家が沖縄ということで、お母さんは近くのビジネスホテルに泊っていた。夜は付き添いで、日中少し寝に行くようだ。 山梨から来ていたおばさん、地元の担当医がなかなか紹介状を書いてくれず、とても困ったと話してくれた。  赤ちゃんも当然いる。同じ病室だと母親同士情報交換するのだが、向かい前にいた赤ちゃんのお父さんはうちの近くのサッカースクールのコーチだって、世の中狭いな。  はてさて  三回の入院・手術を終えて、とりあえず発作は少なくなっている。けれど体温調節がうまくできず、夏になると高熱が続く。トピナを止めても同じだったから原因はトピナではなかった。最近になってもう一度やろうかとO先生に言われたが、結局O先生も体温調節ができなくなった原因が手術だったらもう一度の手術はできないと判断されて、様子見になっている。  もう一度手術したほうが良かったのかどうなのかは神様しかわからない。 親としては現状でより良い生活が本人だけでも出来るような環境創りに頑張るしかありません。親子ともどもがんばろう!! というのが、もう20年も前の話です。  あとがき  二十年経過  体温調節ができないため高熱が続いたのはやはり一時的だったようだ、段々と気にならなくなっていった。笑い発作も目立ったものは少なくなった。けれど時々顔をひきつるような時があり、本人曰くその時は発作が出ているそうだ、早く薬を飲みなさいと言って対応している。 手術後からいろいろありました。中学校の特別支援学級から養護学校(今は特別支援学校になったようです)そして就労移行事業所を経て障害者枠で一般企業に就職、そこで彼女とめぐり合い結婚。親となりました。 病院はこども医療センターは成人すると利用できないため近くの病院に代わり定期的に通っています。O先生は独立したため、何回か報告を兼ねて伺いました。 療法や薬は今ではもっと進んでいるかも知れません。でも対応策は待っていたら勝手には手元に来てくれないということは今でも同じではないでしょうか? もっともっと患者にやさしい医療になってくれればいいなぁと思いつつ今も過ごしています。

2022年9月3日土曜日

移動支援の昼食

移動支援のヘルパーさん、時々昼食時に自分は食べずに見てるだけの人がいますが、これはダメ。 自分だけ食べているのを見られていたらあまりおいしく食べられません。 逆にヘルパー側が気を付けることもあります。 今日ある方の移動支援を行ったのですが、昼食にハンバーガーショップに入りました。 ちょうどタイミングが悪かったのですがトイレに行っていた時に食事を持ってきてくれました。 別のものを注文したヘルパーの分を食べられてしまいました。 多分そっちの方がおいしそうだったのでしょうね。 移動支援の時の昼食は同じものを頼んだ方が良いなと反省しました。(笑)

2022年6月2日木曜日

ローカルルール

障害者グループホームを運営していると、いろいろと疑問符が湧いてきます。 行政ごとの違いもそう。 例えば 申請条件、法的には4.5畳あれば良いはずの居室が神奈川県は6畳ないとダメ。 実績報告、海老名市は押印したコピーを郵送      座間市はFAX       家賃補助、相模原はかながわシステム+請求書郵送      座間市や海老名市は半年ごとに郵送      厚木市は毎月郵送 などなど えっとこの人はどこだっけ?だとするとどうすれば良いんだっけ? 分かりにくいったらありゃしない(笑) なんとかならないものでしょうかねぇ。。。

2022年5月31日火曜日

セルフレジ

近所のスーパーで「Scan&Go(スキャンアンドゴー)」なる決済システムが導入されました。 いまひとつやり方がわからない??? 健常と言われる人間でもそうなのだから、知的障がいのある人はどうなのだろうと心配になってしまいます。 以前は買いたいものをカゴに入れてレジで千円札を出す、足らなければ「足りないよ」と言われてわかるし お釣りをもらえばよかった。 世の中どんどん変わってきていて、確かに感染症対策などメリットもあると思うけれど かえって買い物できなくなってしまう人も増えてしまうのではないだろうか。 お年寄りだってわかりにくいだろうし、そもそもスマホを持っていない人もいるだろう。。。 便利なようで不便になる面を十分考えてサポートしてもらえるといいかなと思います。

2022年5月10日火曜日

障害者入所施設

障害者の入所施設 待機者1万8000人余 背景に「老障介護」か とのNHK報道がありました。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220506/k10013613071000.html 今は障害者入所施設はほぼ新規開設は認められていないようです。しかし、入所施設でなければ受け入れが難しい方がいるのも現実です。施設・グループホーム・自宅など選択肢が多い方が良いと感じます。 入所施設は本人が望んでいない所なので地域で暮らさなければならないからグループホームを推奨している? 確かに無理やり入所させられている人がいるのは事実なのかも知れません。 けれど老人の特別養護老人ホームや養護老人ホームはあちこちにあり、どこも入所者でいっぱいなのを見ると なぜ障害者の施設はだめなのだろうか?と疑問を感じます。 以前働いていた入所施設では、「この人、グループホームでも十分やっていけるのでは?」という方もいました。 グループホームを運営していて、重度の方は今の体制ではとても受け入れられないとも思います。 現実と制度はどうもマッチしていないと強く感じます。

2022年4月30日土曜日

障害者総合支援法電子請求

グループホームに限らず、障害者総合支援法に定められる事業を行った場合 介護給付費、訓練等給付費を請求して振り込んでもらわなければなりません。 請求するのに簡易入力システムというのが提供されているのですが、これが使いづらい! なので民間の請求ソフトがたくさん出ています。さらに 「毎月電子請求を行っていますが、そのシステムがインターネットエクスプローラー(IE)という数世代前のWEBブラウザでしか動作しません。 今の主流はグーグルクロームやエッジだろうと思われます。 全国を対象としたシステムがこんな状況では非常に情けなく感じていますし、使い勝手も良くありません。 早急に改善をお願いしたいと思います。」 とお願いしたところ 「厚生労働省障害保健福祉部企画課です。 先日いただいた御質問について、回答します。 当システムのIEについては、後継ブラウザへの移行作業を計画しており、実現にむけて調整中です。 今後も利便性の向上に努めてまいります。」 との回答があったのですが、その日付は2021年9月13日(月) 午前10:48です。 もう半年以上も経っていますがいまだにそのままです。 イライラして、時間もかかって作業している分、利用者さんへの対応が足りなくなることもあります。 なんとかならないものでしょうかねぇ。。。